2007.02.13 Tuesday
釣洋一先生 旧前川邸歴史コラム 第4回:古高俊太郎拷問の土蔵
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旧前川邸 歴史コラム2007.01.08 Monday
釣洋一先生 旧前川邸歴史コラム 第3回:山南敬助切腹
![]() 釣先生の歴史コラム。第3回の今回は、山南忌の申し込み締め切りが今月末、ということもあり、「山南敬助切腹」について書いていただきました。 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ 2006.12.07 Thursday
釣洋一先生 旧前川邸歴史コラム 第2回:青春の門〜長屋門〜
![]() 釣先生の歴史コラム。第2回の今回は、長屋門について書いていただきました。 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ 長屋門を潜って初めて田野さん宅の前庭に一歩足を踏み入れた時、私は胸の高鳴るのをおさえきれませんでした。往時の彼らが黒船の到来によって尊攘の精神をもって上京。八木邸を宿舎に定められた近藤、土方、それに沖田らの天然理心流の者たちに芹沢ら水戸派の混合13人が、田野家に隣接する新徳寺で行われた清河八郎の大演説に異を唱えて、京都に残留して、松平肥後守御預りとなった悦びの姿がくっきりと脳裏に浮かびました。それは、青雲の志を胸に入京した彼らにとって、この長屋門は正に<<青春の門>>ではなかったでしょうか。 36歳にして初めて文筆にいそしもうとする私にとって、田野家の長屋門は<<青春の門>>そのものでした。 その時既に<<新選組再掘記>>の構想は出来上がっていただけに、田野さんの好意には大感激でした。 <←第1回 はじめに> <→第3回 山南敬助切腹へ続く> 2006.11.21 Tuesday
釣洋一先生 旧前川邸歴史コラム 第1回:はじめに
![]() 新選組に関する数々の著書で知られる歴史研究家・釣洋一先生に、旧前川邸に関する読み応えある歴史コラムを寄せていただきました。 これから、半月〜1ヶ月に1回位のペースで、連載形式でお届けします。 お楽しみに!! ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ 私が先代・田野十二雄氏に初めて会い、非公開の内部を案内していただいたのは、昭和45(1970)年のことでした。 現在田野製袋所を経営される田野氏は、新選組屯所となった旧前川荘司邸の遺蹟を伝えるために、巨額な自費を投じて、往時の原型を保つことに腐心。今日まで弛まざる努力を続けておられます。そのような田野氏のお姿を拝見するたびに、歴史に携わる者の一人として、ただただ、敬服致すばかりです。 ![]() ![]() 長屋門の左出窓に残る刀傷の柱。現在は取り外されている。 昭和45年当時は長屋門の左柱の処に写真のように刀痕の窓枠がそのまま残されていました。 現在は奥庭の土蔵に秘蔵されています。 その刀痕を擦りながら、子母沢寛の<<新選組始末記>>に出てくる忘れ難いエピソードの名場面が、次々に思い出されたものでした。 (→第2回:青春の門〜長屋門〜に続く) |