2006.12.07 Thursday
釣洋一先生 旧前川邸歴史コラム 第2回:青春の門〜長屋門〜

釣先生の歴史コラム。第2回の今回は、長屋門について書いていただきました。
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長屋門を潜って初めて田野さん宅の前庭に一歩足を踏み入れた時、私は胸の高鳴るのをおさえきれませんでした。往時の彼らが黒船の到来によって尊攘の精神をもって上京。八木邸を宿舎に定められた近藤、土方、それに沖田らの天然理心流の者たちに芹沢ら水戸派の混合13人が、田野家に隣接する新徳寺で行われた清河八郎の大演説に異を唱えて、京都に残留して、松平肥後守御預りとなった悦びの姿がくっきりと脳裏に浮かびました。それは、青雲の志を胸に入京した彼らにとって、この長屋門は正に<<青春の門>>ではなかったでしょうか。
36歳にして初めて文筆にいそしもうとする私にとって、田野家の長屋門は<<青春の門>>そのものでした。
その時既に<<新選組再掘記>>の構想は出来上がっていただけに、田野さんの好意には大感激でした。
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